●発起人からのメッセージ

8.18 発足会見に臨む「共同テーブル」発起人たち
8.18 発足会見に臨む「共同テーブル」発起人たち

発起人一覧

浅井基文(元広島平和研究所所長・政治学者)  安積遊歩(ピアカウンセラー) 雨宮処凛(作家・活動家) 伊藤誠(経済学者) 植野妙実子(中央大学名誉教授・憲法学)  上原公子(元国立市長) 大内秀明(東北大学名誉教授) 大口昭彦(弁護士・救援連絡センター運営委員) 海渡雄一(弁護士) 鎌倉孝夫(埼玉大学名誉教授) 鎌田慧(ルポライター)  金城実(彫刻家)  纐纈厚(山口大学名誉教授・歴史学者) 古今亭菊千代(落語家) 佐高信(評論家) 清水雅彦(日本体育大学教授・憲法学) 白石孝(NPO法人官製ワーキングプア研究会理事長) 杉浦ひとみ(弁護士)  竹信三恵子(ジャーナリスト・和光大名誉教授) 田中優子(前法政大学総長) 鳥井一平(全統一労働組合・中小労組政策ネットワーク) 古田兼裕(弁護士) 前田朗(東京造形大学名誉教授) 室井佑月(小説家・タレント) 山城博治(沖縄平和運動センター前議長) *五十音順

 


田中 優子法政大学元総長)

 佐高信さんが起草して下さった「宣言」は素晴らしく、足すところも引くところもありません。私も改憲阻止と憲法の理念の実現を中心に据えたいと思います。

 共同テーブルは、改憲阻止をしながら憲法の理念を実現する政治家が活躍できるよう支援をする組織だと思います。選挙運動だけでなく当選した後の支援も必要で、そうでなければ立候補者がなかなか出て来ないでしょう。

憲法の理念の実現の第一は、アメリカと中国への等距離外交によって戦争を回避する方向性を明確にし、沖縄の米軍基地の撤退と離島の自衛隊基地の縮小をはかっていくことです。

 憲法の理念の実現の第二はいのちの安全保障です。その当面の課題は非正規問題ですが、同一労働同一賃金がすでに始まっていて不合理な待遇格差は禁止され、待遇差は説明が義務づけられています。それでも休業手当が支払われず不当解雇され、女性の非正規率も多いのです。もう法律の問題ではなく社会全体が取り組むべき問題で、非正規雇用者が声を上げ説明を求めて現実に待遇が改善されていく行動を促す政治家や運動体が必要です。

 共同テーブルは以上のことを軸にして、このテーブルを囲む党と立候補者を積極的に説得的に結びつける仕組みであり、運動体だと考えます。

 

植野 妙実子(中央大学名誉教授)

 今の政治に圧倒的に欠けているもの、それは「憲法に基づく政治」だと思います。

憲法は国家の基本法です。日本国憲法は、平和主義、個人の尊重、生存権を含む基本的人権の保障、権力分立など国の守るべき基本を定めています。しかし、実際の今の政治は、この決定はどこからきたのか、憲法にあるのか、憲法に基づく法律にあるのか、疑問に思うようなことが続いています。時には国民を裏切る、あるいは国民を棄てる、と思わせるような政治さえ行われています。

 今一度、憲法の精神、原則に立ち返り、不透明なごまかしの政治をやめさせ、真に国民に寄り添う、国民のための政治を求めます。

 

清水 雅彦(日本体育大学教授・憲法学)

 菅政権の無策により、多くの人のいのちがないがしろにされています。コロナ対策の失敗は、菅政権だけの問題ではなく、憲法25条で生存権を規定しながら、歴代自民党政権が新自由主義改革を断行し、医療・社会保障をボロボロにしてきた結果でもあります。自民党政権が憲法理念の実現を目指さないのであれば、政権交代するしかありません。

 しかし、権力をとるために大同団結できる自民党に対して、対立・分裂を繰り返してきたのが立憲野党・リベラル・左翼でした。マイノリティでも批判勢力として存在意義があるとはいえ、政策実現のためにはマジョリティにならないと無理であることを認識すべきです。自公政権との比較で「よりまし」な政権を実現するには、立憲民主党を中心とした立憲野党による政権を樹立することが優先課題になると考えます。

 したがって、この共同テーブルが単なる社民党支援の独自組織になってはいけませんが、将来的にアメリカ的な保守二大政党制ではなく、ヨーロッパ的な保守対社民(社会党・労働党・社民党)の体制を目指すなら、社会民主主義を掲げる勢力をなくすわけにはいきません。私はこのような観点から共同テーブルに期待します。

 

前田 朗(東京造形大学名誉教授)

 新型コロナと地球環境変動。民族、宗教、地域の武力紛争。人種・民族差別、性差別。難民、移住者、先住民族、外国人に対する差別と抑圧。新科学技術による新しい重大人権侵害――世界は矛盾に満ちている。難題が溢れている。

ここから希望を紡ぎ出すために飽くなき闘いを続けている人々がいる。

日本も同じだ、と思いたい。

 身分差別と外国人差別を冒頭に掲げた憲法。その憲法の平和主義を無視して軍国主義への道を歩む政権。外国人差別だけでは飽き足らず、国民切り捨て政策に邁進する政権。民主主義を葬り去る政権。翼賛するメディア――日本も矛盾に満ちている。難題が山積みだ。

 それでも、いのちを諦めない人々がいる。平和を手繰り寄せようと模索する人々がいる。棄民政策にNO!と拳を突き上げる人々がいる。尊厳をかけて連帯する人々がいる。耳を澄まし、目を凝らし、自分の頭で考えようとする人々がいる。

日々の暮らしといのちという、ささやかな願いを足蹴にする政治を終わらせ、小さきものの視線から世界を見晴るかす政治をつくり出したい。

 

纐纈 厚(明治大学国際武器移転史研究所客員研究員)

 コロナパンデミックは、戦後日本国家や政治の限界を露呈する契機となりました。そこでは何よりも安全保障概念の再検証を促しています。軍事的安全保障ではなく、国民の生命と健康を第一とする人間的安全保障、自然との共生や安定した労働を確保する生活安全保障を優先する発想への転換が迫られています。取り分け、日米軍事同盟は、抑止を口実としながら軍事力で国際社会の枠組みを形成しようとする時代遅れの政治スステム。ウイルス感染や地球温暖化など、軍事力では救えないものが数多存在することへの気付きが必要です。

 国際社会にあっては、政治体制やイデオロギーの差異を超えて、国家や国境の束縛から解放された国際社会の築きが求められています。宣言文の「国家の水位を低くする」とは、その意味が込められていると思います。一国主義的要素の強かった護憲運動も、そうした国際社会の枠組み創りに資するものである限り、これまで不充分であった国際性が担保されるはず。憲法に盛られた信頼醸成の方途を探ることこそ、護憲の最大目的ではないでしようか。

 いま国際社会では形こそ違え、様々なファシズムの潮流が運動や体制として勢いを得ています。強き者や豊かなる者が世界を動かす現実は、貧困・抑圧・差別を一層強めていくことになります。こうした現実を変えていくためには、人間差別を解消する平等主義、貧困格差を是正する社会主義、国家主義や全体主義を否定する民主主義、これらを接合する骨太の自由主義への思いを共有することです。このことを、取り分け未来を担う青年たちの思いに繋げていきたい。

 そうした思いを抱く人々が同じテーブルに集い、その実現のために知恵を絞り合い、政治の場で如何に活かしていくのか。共同テーブルとは、そのための実践的な活動方針を紡ぎ出す運動体と定義すべきに思います。以下、私が考えている掲げるべきスローガンの一例を挙げておきます。

 一、非同盟政策が貫かれた国際社会の構築

 一、軍事的安全保障から人間的安全保障への転換

 一、国際連帯を促す護憲運動の展開

 一、差別的労働現場から安定的労働現場の創出

 

鎌倉 孝夫埼玉大学名誉教授)

 この活動は、基本的人権と平和確立が基本課題であること。この課題確立をめざす運動を活性化するために不可欠と思われる事項を記しておきます。

 1.平和を損なう、戦争の危機をもたらす動きが台頭し、強まっている。なぜいま戦争の危機が生じるのかを、認識しなければならない。直接には中国と米国(政府)との対立―とくに台湾問題を契機とする戦争の危機が生じている。この戦争の危機の原因を明確にすること。米政府の意図―日本への侵略の戦力増強の要求を明確化すること。

 2.日常的生活と労働(仕事)の中での、平和的人間関係、基本的人権確立を。エッセンシャルワークの確認、その場での労働者の協力共同の確立を。

 3.国際的平和確立を図る各国労働者・勤労者の共同・連帯形成。インターナショナルな労働者・勤労者の運動とあらためての活性化。                           

 

古今亭 菊千代(落語家)

 野党共闘ということ対して、私の地元江東区でも江東市民連合が立ち上がって以来、選挙やいろいろな場面において呼びかけをしてきました。けれどもそのたびに、心が折れる場面がありました。

野党共闘は私たち市民の願いである前に、そろそろ、いえ、もっと以前から、政治家の皆さんから、野党が共闘して必ず成果を出しますから一緒にやっていきましょうと声を上げ、先頭に立つべきではないかと思います。口先だけの野党共闘はもううんざりです。それぞれの党の面子や主義をひとまず置いてこれだけは許せないというものを目標において突き進んでもらいたいのです。

 原発や基地をなくし、そして、9条を守る、戦争のできる国ではなく絶対しない国としての約束と、核兵器廃絶に向けての働きかけをする。国を守るという言葉ではなく、この国で生きる人たちの当然の権利を守ることを一番にする。利権より人権を守る国にするために、できる事からしていきたいと、私は考えています。

 

海渡 雄一(弁護士)

 次の選挙で野党の統一を図ることも重要ですが、そもそも今の国会では、直近の重要土地規制法が成立してしまったように、見落としてはいけない様々な人権課題が、数だけの「民主主義」で通ってしまう状況になっています。秘密保護法も共謀罪法も、安保法制も全てそうでした。そして、これらの法律は社会の根底に大きな影響を与え、人権を掘り崩していくものです。これを支持しない市民は大勢いるはずです。しかしながら、多くの市民の声は、今の既成の野党政党によって代弁されているとはいえません。

 既成の野党だけでは拾い切れていない多くの市民の声とつながりを持ってきた者が集まり、市民の声を繋ぎ合わせて大きな力にするために、「共同テーブル」というプラットホーム(「共通の土台(基盤)となる環境」)を立ち上げました。この場を活用し、多くの市民の声を政治に生かして行きましょう。

 

杉浦 ひとみ弁護士)

 現在、日本の政治は危機的な状況にある。国内ではコロナ禍に国民の命が顧みられないことが明白になった。世界に向けては他国民を殺傷する武力行使に積極的に関わる意思表明をしている。それでも市民は、日本は先進国であり、平和を尊重する国だから、そんな無茶はしないだろう、私たちは豊かな国の国民として国際社会でも伍していけるだろう高をくくっている。  この根拠のない正常性バイアスをまずは打ち捨て、現実を直視し共有したい。その上で、何を大切にするのかを確認したい。

それは一人一人の平等な命と安全の保障であり、それ以外の何ものでもないことを愚直に確認したい。バブル崩壊後の世代は、夢や希望も持てず、格差が当然の社会に育ち、平等感も自己肯定感も持てないまま、民意による自己復元力(民主主義)も信じられないが、まず自分が幸せに生きるイメージを持とう。例えば砂漠に水を引き緑を育て、食べることができ、子どもたちが学び、治安を得る。そんな幸せを提示した中村哲さんの行動を胸に描きたい。

 そして私たちは、完璧な政党を探して、見つけられずに政治に絶望するのでなく、自分たちで目指す勢力を創り上げるために努力をしなければいけないと思う。

 

山城 博治(沖縄平和運動センター前議長)

 菅政権。恐ろしく信じがたいまでの政治の劣化に目を覆う。人々の命や暮らしはそっちのけ。あるのは見え透いた人気どりの政権浮揚策のみ。Gotoキャンぺ-ンにはじまり、携帯料金の軽減。そしてついにコロナ感染蔓延の中での五輪開催。自ら任命したはずの専門家委員の助言も聞き入れず強行した祭典は未曾有の感染爆発を引き起こし医療体制は各地で限界値に。五輪開催と感染拡大は関係ないと開き直るその口で、入院制限、中症者の入院拒否という医療崩壊と責任放棄を政府が公然と言い放つ。あってはならない事態が私利私欲・打算の政権運営によって惹き起こされている。

 だがこの政権によって惹起されている平和で自由な市民社会の破壊はもっと深いところでより深刻に進行している。

 いうまでもなく憲法改悪のための国民投票法やあらゆる課題での政権批判を封じる込める極めつけの弾圧立法・土地規制法の突然の提出・強行採決に表れている。何のためか。米国バイデン政権に呼びつけられ、唯々諾々と危険極まりない対中国軍事包囲網の最前線に立つことを了解してしまった。南西諸島はミサイル戦争の舞台にされようとしている。今こそ平和で当たり前の暮らしを守るために声を上げよう。

 

伊藤 誠(経済学者)

 チャンスもきている―「共同テーブル」からの連帯運動へ―。

 世界と日本に大きな転換期が訪れています。新自由主義のもとで企業優先的な市場原理主義がもたらした非正規社会のひずみがあまりに大きい。貧富の格差が顕著に拡大し、バブル崩壊の打撃が反復され、少子高齢化がすすみ、社会の活力が衰退している。地球温暖化、洪水の多発などの自然環境劣化もうながされてきた。コロナ禍への対応も手遅れが目立つ。いのちの安全保障が軽視され、人間と自然に荒廃化が広がっている。

 新自由主義が問われているのか。資本主義もゆきづまっているのではないか。昨年末のアメリカのギャラップ調査では、39歳までの若者世代で社会主義に前向きな人々の割合が50%に達していた。バイデン勝利には、サンダース旋風を生じたこの世代の協力が不可欠であった。イギリス、フランス、ギリシャ、スペインなどでも若者が動き始めている。日本でも発足1年を経ずに菅内閣支持率は28%に低落している。学術会議問題にはじまり、憲法改正への準備を急ぎ、研究、教育、言論の自由をおびやかし、コロナ対策に失政をくりかえしてきた結果とみられる。日本にも未来に向けてグリーン・ニューディール(GND)をめざす社会民主主義再活性化を望みたい。そのチャンスもきている。「共同テーブル」からの連帯運動に期待したい。

 

 

上原 公子(元国立市長)

 いのちの安全保障への政治を再構築するために。

 「東京大会を実現するためには少々の犠牲を払わなければならない」。IOCのバッハ会長の言葉が、経済のためには生命を押しのけていく日本の状況を象徴する。

 私たちは、政治によって、2つの危機に直面している。

 生存権の危機と民主主義の危機である。

 そもそも政治は、「国民が幸せになるための政治」でなければならない。

 ところが、国富が経済と信じて疑わない政府は、福島原発の過酷事故で、多くの犠牲を払ったことに対する反省もないままに、原発依存を捨てようともしない。これまで経済活性のためのインフラ整備だけに邁進し、「いのちの安全保障」のための公衆衛生をないがしろにして、基礎研究、保健所、公立病院を切り捨ててきた。コロナ禍を抑制できないのは、当然の結果である。

 忘れてならないのは、証拠が山ほど出てきても、コロナの陰に隠れて政権への忖度連鎖は止まらない。放送界への介入、司法の忖度、公文書の改ざんなど、権力乱用の政権によって、民主主義は破壊的状況になっている。

 もう自己主張ばかりをしている場合ではない。多少の違いを乗り越え、いのちの安全保障こそが一番と思うものたちが手を取り合わなければ、私たちは民主主義さえ放棄することになってしまう。

 まだ、決定権が国民にある限り、誤った政治を是正していく道はある。共同という力に希望を見出し、すべての人々が平和で平等な民主主義社会回復のための行動を、今こそ起そう!!

 

大口 昭彦(弁護士)

 安倍・菅内閣内閣体制下に於いて進行した顕著な事態の最大の一は、日本人民の「主権者としての地位の大きな低下」である。モリ・カケ・サクラ等に露呈した疑惑の数々は、どれ一つをとっても、かつて「爆弾三人男」が健在であった時代には、国会が何十日も空転し、内閣が吹っ飛び瓦解するほどの深刻なものであった。

 しかしこの間、そのような事態は一度として起こらなかった。現実には、国会では「ウソ・論点隠しの居直り・説明拒否の強弁・盗っ人猛々しいヤジ」等々がまかり通り、「国権の最高機関」とはとても言えない事態となってしまっている。しかも、政府にとって好ましくない課題については、そのような国会すら開会を拒否し、ほとぼりの冷めるのを待つという手法が是認されている。国会外でも、マスコミに対する支配を強め、記者質問の選抜・制限等にもよって、一方的抽象的な強弁のみの押しつけという手法が横行している。かつて5・15、2・26事件の要因の一として、「政党政治の腐敗」が指摘されたが、問題は異なるけれども、まさに、政府による国会の無視軽視は、代議制民主主義の根幹を腐朽させている。大きな危機である。この原因には多々考えられるが、小選挙区制のもとでの、「数の暴力」を許す一強体制に大きな問題の存することは明らかである。

 一方、世論に於いては「五輪強行・政権支持の浮揚」などという目論見の破綻は明白となった。選挙に於ける自民党の連敗・菅内閣支持の大きな低迷は、コロナ対策に於ける棄民政策性が見抜かれてきたことを示している。

 今こそ強力な批判勢力の登場を実現することが急務である。全てを菅に押しつけうまく逃亡したかのような安倍によって、今秋の総選挙後第三次内閣が組織されるような悪夢の事態は、まさに憲法が立脚する人民主権の死である。

 共同テーブルがそのような批判勢力形成登場の起爆剤となることを期したい。                                                                                                                                 

鎌田 慧(ルポライター)

 人間らしい生活へ。

 信じてもらえないかもしれない。いまから60年ほど前、1950年代の鉄鋼労連は、「臨時工は本工の防波堤ではない」と題するパンフレットを発行していた。一旦、緩急あれば本工(社員)の地位を守るために、切り捨て御免にされる非正規労働者の存在を解放しよう、との主張だ。身分差別撤廃、本工化要求は、そのころの労働運動の当然の要求だった。

鉄鋼労連は2003年、造船重機労連と合併して基幹労連となった。が、鉄鋼業界は中国、ブラジルなど新興勢力に圧されて、高炉操業を停止、本工労働者自身の存在が危うくなっている。

 日本の会社はいま、パート、アルバイト、派遣、契約、嘱託などと非正規労働者の多重構造。80年代、10数%だった非正規労働者は、いまや230万人、5人にふたり、40%を占めている。労働組合に加入しているのは、全労働者の17パーセントにすぎず、「本工労働者の安定」も、いつ非正規労働者に転落するかわからない。

 大企業の労働組合は、いつのまにか企業間競争に囲い込まれてしまった。労働者は労働組合に依拠するしかない。未組織労働者の組織化が労働組合の使命である。「ハウス・ユニオン」といわれる企業内労組の桎梏を越え、産業別、個人加盟方式の労組を拡大し、一人の労働者の生活を大事にする、地域の人たちとの共通の課題をたたかう運動をどう確立するか。個人や地域の課題に応えるヒューマンな運動、そうでなければ、もう若者たちの要求に応えることはできない。

あらたな労働組合への模索と活動。8時間労働で生きられる生活を獲得しなければ、未来はひらけない。

 

白石 孝(NPO法人官製ワーキングプア研究会理事長)

 日本でもっとも「希望」を感じられない、それは「政治」だ。実に悲しい。

 その第一義的責任が政権と与党にあることは間違いないが、野党の責任も大きい。しかし私はあえて市民にも責任があると 自戒の念を込めて言いたい。

 隣国の韓国では「民主化を100年かけて」実現してきた。その成果がとりわけ2008年「キャンドル行動」に始まるこの13年間で大きく開花している。同年BSE輸入牛肉反対100万人直接行動が政権交代にまで至らなかった反省を、市民社会も民主・進歩政党もその後の前進に生かした。

 その鍵が、普遍的福祉を軸に据えての政策深化と社会的連帯行動の拡大だ。学校給食運動は、生産地では有機農業拡大を、教育行政では給食費完全無償化、流通や生産では社会的連帯経済活性化、そして地球温暖化対策にまで繋がり、個別分野を超えて進められた。だからこそ多くの市民(生産者、労働者)の共感を呼び、「給食費」という「ひとつの課題」に千を超える団体が「国民連帯」運動として結集した。

 この延長で、政権腐敗、財閥中心経済、格差拡大へ怒りが爆発、16~17年「キャンドル市民革命」で政権交代実現となった。17年大統領選挙公約は、普遍主義と地球環境を基調とし、与党共に民主党だけでなく正義党などの進歩政党は支持率を上げ、それだけでなく各地に住民連帯などの市民運動が根付いている。

 私がめざすのは、福祉国家と緑の政策の癒合、それを実現する政党の強化、そして市民自らが「市民民主主義」の主体になることだ。日本でも不可能ではない。「観客」「評論家」から「主体」になれればのことだが。

 

浅井 基文(元広島平和研究所所長・政治学者)

 率直に言って、私は日本の政治が簡単に「変わる」とは思っていない。主権者・国民の政治意識は概して低いといわざるを得ないし、世論喚起を重要な使命とするはずの日本のマス・メディアのていたらくぶりは公知の事実だし、野党もおしなべて極めて低レベルの「永田町政治」にどっぷりつかっているからだ。何よりも深刻なのは、この状況は昨日今日のことではなく、長年にわたって蓄積され、年を追う毎に深刻度を増していることだ。

 しかし、私は短期的には悲観論だが、長期的には楽観論である。なぜならば、私は歴史の弁証法に確信を持っているからだ。矛盾が蓄積されていけば、必ず何時かの時点(=臨界点)で「量的変化は質的変化に転換する」法則が働く。質的転換(=「革命」)は必ず起こる。日本の政治はその臨界点に確実に近づいていると思う。

 その質的転換が起こるとき、それを誤りなく「新生日本」に導く政治的リーダーシップが不可欠だ。私は「共同テーブル」がその歴史的任務を担う一角を占めることを期待するし、そのために切磋琢磨を通じて広範囲の主権者・国民を糾合するだけの力量を我がものにすることを願っている。「その日のために身体を鍛えて」いこう。

 

金城 実(彫刻家)

 京都帝大による琉球人遺骨の盗骨裁判を通じて、琉球民族とは何か、日本政府による沖縄への不当な差別と仕打ちを考える。

 沖縄の植民地化は天皇制中心になされた。コロナ禍で放映されたNHKの「麒麟がくる」にほとんどの日本人は感動したであろうが、まさにこのドラマの人物たちがわが琉球や台湾、朝鮮へと植民地政策を進めたのだ。1587年豊臣秀吉の全国平定の中で敗北した島津は、秀吉による九州支配の下で琉球国に貢物を強要した。1591年には秀吉が朝鮮出兵し、沖縄に7千人分・10ケ月分の兵糧米の供出を命じ、催促に遅れると、琉球の領土であった奄美大島の割譲を持ち出して琉球侵略、今帰仁城を陥落させた。東アジアへの植民地化に幕を開けた。

 その今帰仁が、京大から盗掘された尚氏の墓のあるところである。なんと!人類学術研究資料にするとして京大は返還を拒否。日露戦争前夜に開かれた大阪勧業博覧会での台湾、アイヌ、琉球、朝鮮民族を見せしめにした人類館事件と重なる。今度はあろうことか、沖縄戦で埋まった遺骨の土砂を辺野古の基地建設に投げ込むと言う。

日本政府の挑戦・挑発的仕打ちに対して、歴史的な闘いが続く。日本が沖縄を犠牲にする政治から脱却できるか、問われる。

 

安積 遊歩(ピアカウンセラー)

 私は多様な属性からなる人間である。まず骨が折れやすく低身長だから世界を見る眼差しは時に子どもと同じ目線だ。そして0歳から2歳までに男性ホルモンの投与という生体実験をされた。この体験は大人社会への不信の核でもあるが、同時に虐待生還者として大いなる力を得た。福島県生まれなので原発の被災に耐え難くNZに3年避難した。一緒に行った娘はその時14歳。彼女の父親とは法律婚ではなく事実婚を選択。娘は常にシェアハウスという大家族の中にいたし、今もいる。彼女も車椅子を使っていて今ではNZで障害者権利条約の研究員をしている。

 私は障害者運動の活動家として優生思想に抗い続けて約50年。政治の大切さは体験を通して身体に刻印されてきた。隔離と排除からの生活から出て駅にエレベーターをつけたこと。声をあげて優生保護法を改定したこと。そして介助料を獲得し家族介助からの脱却を図ってきたこと等々、私たちの暮らしは政治を動かすことで確実に変化してきた。しかしこのコロナ禍にもかかわらず人々の命を見捨て、約4兆円の税をばら撒き、優生思想の大イベント、オリパラが開かれた。命より大事なものがあるという政治はまるで戦時下だ。真の平和を回復したく共同テーブルの席に着くことを決断した。個人的なことは政治的であり、社会を変えるためにはまず自分が社会に変えられないことを貫きたい。